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高松高等裁判所 昭和47年(ネ)175号 判決 1974年4月25日

一審原告

太田食品株式会社

右代表者

太田義一

右訴訟代理人

木原邦夫

外一名

一審被告

右代表者法務大臣

中村梅吉

右指定代理人

河村幸登

外二名

主文

原判決を次のとおり変更する。

一審被告は一審原告に対し金五、七二三万円及びこれに対する昭和四八年七月三一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。一審原告の本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一・二審を通じこれを一〇分し、その四を一審原告の負担とし、その余を一審被告の負担とする。

この判決は第二項に限り金一、〇〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

但し、一審被告が金五〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

一  一審原告訴訟代理人は、「原判決を次のとおり変更する。一審被告は一審原告に対し金一億円及びこれに対する昭和四六年八月二八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一・二審とも一審被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言、そして「一審被告の控訴を棄却する。控訴費用は一審被告の負担とする。」との判決をそれぞれ求め、一審被告指定代理人は、「原判決のうち一審被告の敗訴部分を取消す。一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも一審原告の負担とする。」との判決、そして「一審原告の控訴を棄却する。控訴費用は一審原告の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行免脱の宣言をそれぞれ求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほか原判決の事実摘示と同一であるから、それをここに引用する。

(一審原告の主張と反論)

(一)  損害算定の基準時について

原判決は、一審原告が本件土地の所有権を主張できなくなつたことによる損害について、「その算定基準時点は右損害が客観的に発生したとみられる昭和四三年六月一三日である」とし、「右時点における時価金三〇三七万円をもつて該損害額と考えるのが相当である」と判示している。

しかし一般に右の算定は不法行為による物の滅失毀損時の交換価格によるべきであるが(最判昭和三二年一月三一日、民集一一巻一号一一七〇頁、同昭和三九年六月二三日、民集一八巻五号八四二頁)、その後その物の価格が騰貴を続けている場合で、不法行為時に債務者がその事情を知りまたは知りえたときは、口頭弁論終結時の価格によるべきであるとされている(最判昭和三七年一一月一六日、民集一六巻一一号二二八〇頁)。けだしかような場合は、その間の価格騰貴による損害額の増大を如何ともし難い被害者が、その不利益を自ら負担しなければならない結果を招来しては、公平の理念に反するからである。殊に本件のごとく物が土地であるうえ、原判決も指摘しているように該土地の時価の上昇率が顕著だつたのであるから、これを殊更に遡つて比例按分式による換算をし、漫然と減額したのは失当である。

原判決は、一審原告が本件土地所有権を喪失した(あるいはあたかもこれと同視してよい損害を蒙つた)時点を何時と認定するかということと、これにもとづく損害額を何時の時点の交換価格によるものとすべきかということが本来別個の問題であるのを忘れたものである。

ちなみに本件土地の時価は一審当時坪当り二〇万円を超える急騰ぶりであり、現今は更に取引価格が坪当り二五万円を下らない状況にある。

(二)  営業上の損害などについて

原判決は、一審原告が昭和四五年三月末日までに被つた営業上の損害及び同年四月以降に被つた営業上の損害について、「かような特別事情(による損害)は、加害者である県知事が違法買収処分をした当時到底予測できず、かつ予測しうべからざることに属すると解するのが相当で、その限りにおいて相当因果関係を欠くと考えるのが公平至当である」と判示した。

しかし重ねて主張すれば、農地法は大綱において自創法の内容をほぼそのまま継承していて、いわば自創法の新しい恒常法としての性格をもつものであるが、一審原告はまさしく農地法五条一項の規定により、ほかならぬ知事の宅地転用の許可を得て宅地に転用したのである。そして右許可は、まさにその土地上に冷凍、冷蔵及び製氷設備をもつ各種海産食品の加工工場を営むことを転用の条件としたのであるし、国も一審原告が倉庫業を営むことを許可したのである。知事や一審被告のこれらの行為は、一審原告の権利義務に影響を及ぼすものであるから、それ自体因果の連絡を果たし、よつて以て一審原告が現に被つている損害を惹起増大せしめたのであるから、けだし因果関係があるといわなければならない。

原判決がこれに思い及ばず、営業上の損害について知事が違法買収処分をした当時到底予測できず、かつ予測しうべからざることに属すると断じたのは不当である。

なお原判決は、「原告のいう担保価値滅殺による逸失利益の主張は概括的に過ぎ、これをそのまま損害額として受取ることはできない」といい、また「この赤字(欠損)がすべて本件土地に予告登記をつけられたこと、または本件土地所有権喪失に因る結果であると考えることは無理」であるという。

しかしながら損害項目の性質上概括的たらざるを得ないし、また加害行為と損害との間に相当因果関係のある限り、その加害行為が損害の唯一の原因であることを必要とせず、他の原因がこれに加わつても妨げないことは、共同不法行為や過失相殺を顧みるのみでも明らかであるから、右の逸失利益の主張が排斥されるべきいわれはない。

(三)  建物収去による損害のうち建物関係について

この建物関係の費用に関する原判決の認定は失当である。何故なら現在木材価格は急騰し、大工などの労賃も同時に倍増して一日六〇〇〇円に達する状況であるから、建物の復旧費は倍額を要するのである。かような場合に、原判決のように安易な採証、控え目の原則による認定をなすことには疑問がある。

(四)  無形的損害について

原判決は、無形的損害について、「特段の事情なき限り一般に当該財産上の損害を賠償することによつて消滅するものと解すべきである」として排斥した。

しかしながら原判決が一方において一審原告が被つた金六二八七万〇二六〇円に及ぶ営業上の損害を肯認しないでおいて、右のごとき論法を用いることはそれ自体矛盾した判示である。しかも一審原告は、財産的損害の賠償だけでは償い得ないほど甚大な無形の損害を被つたもので、これが容認されるべき特段の事情があると主張するのであるから、右判示には承服し難い。

(五)  因果関係についての一審被告の主張に対する反論

知事の処分と一審原告の被つた損害について因果関係を肯認すべきことは既述のとおりであるうえ、この点の原判決の説示は正当であつて、これに付加すべきものもない。

なお本件のような場合に、一審被告が主張するように売主の担保責任などの法理により救済を求めることは考えられるが、そうかといつてかかる回復方法を先行させる必要がないことは多言を要しない(大阪地判昭和四一年三月二八日訟務月報一二巻五号六三六頁)。

(六)  損害未発生との一審被告の主張に対する反論

本件のごとく買収処分の無効確認判決が確定した場合には、その確定内容と経緯に照らし一審原告としては、もはや本件土地の所有権を主張することが社会通念上、論理上不可能となつたものというべく、したがつてすでに金銭的に評価可能な損害が発生したものとすべきはけだし当然であり、原判決が右見地に加え特段の事情もないことを指摘して一審原告の主張を容れたのは、極めて正当である。

それに仮に一審被告主張のように「借地権を主張しうる余地」があつても、一審原告主張の損害はそれ自体独立別個の損害項目とされうべきものであること明白である。加えて果して「借地権を主張しうる余地」があるかは大いに疑問であり、評価可能な減額要素ではないというべきである。

また一審被告が主張するように、明渡しに至る場合「その条件、時期など未確定要素が多分に残されて」いても、そのことによつて所有権喪失による損害が翻つて未発生となるいわれのないこと多言を要しないし、仮にもかような事情によつて損害額を減少させる場合があつても、それは原判決のいうとおりであつて、別個の事後的処理にかかわるものである。

(七)  所有権に関する損害について一審被告の主張に対する反論

一審被告は所有権に関する損害について、原判決が判決時点の時価とする点を非難する。しかしながらそれは不可解な言い分であり、一審被告の機関である知事の違法行為によつて一審原告が該所有権喪失と同一の損害を被つたことを忘れたものというほかない。一審被告の見解によるなら、その不利益を、該違法行為によつて損害を被らせた相手方である一審原告に負担させる結果を招来するが、果して公平妥当であろうか。むしろ前述のように「判決時点の時価」を一歩出て、口頭弁論終結時の価格によるのがより正当である。

(八)  建物収去の損害に関する一審被告の主張に対する反論

一審被告は「本件土地に関する売買契約を合理的に解釈すれば、他人の物の売買と把握するよりも賃借権の譲渡と把握するほうが、関係当事者間の法律関係を安定させ、公平かつ妥当である」と主張する。しかしこの見解には賛成し難いのみならず、仮に一審原告が本件土地を占有する権原として賃借権を有すると解されるとしても、果して芝彦一に正当に対抗できるかも甚だ疑問である。

(一審被告の主張)

(一)  因果関係について

一審被告は、徳島県知事のなした農地買収処分と一審原告が本訴において主張している損害との間には相当因果関係がない旨主張して来たのであるが、この点について原判決は、知事の違法買収処分当時予想不可能であつた事項については、その限りにおいて相当因果関係を欠くと判示しながら、営業上の損害に関して一部触れたほか、全体として何らの判断も示さず、単純に知事の処分に公定力があるところから、これを信じて本件土地を買受けた一審原告の損害との間には当然に相当因果関係があるとしているように解されるが、先ずそこで示された判例(最判昭和四三年六月二七日民集二二巻六号一三三九頁)は登記官吏の過誤に関するもので、本件に適切でない。

要するに一審被告の主張は、自創法にもとづく知事の買収処分などは、農地を農地として利用させることを前提とするから、仮にその処分に瑕疵があつたとしても、本件のように宅地転用の転得者が損害を被るという事態はもともと予想しえない筈であつた。現在の事態は、当時予測できなかつた社会経済事情の変化に応じ関係法令が逐次改正されたことによるのである。したがつて知事の処分当時に立つて判断する限り右の変動は全く偶然の事情の附加というほかなく、一審原告の損害は知事の処分により通常生ずべき損害とはいえず、もとより、相当因果関係は認められない。かかる場合の損害は売主の担保責任などの法理により順次遡つて売主に対し救済を求めるほかないと解すべきである。

(二)  損害未発生について

原判決は、一審原告の損害が未だ確定的に発生してない旨の一審被告の主張に対し、昭和四三年六月一三日本件土地等買収処分の無効確認判決の確定により以後一審原告が本件土地の所有権を主張することが社会通念上、論理上不可能となつたとし、さらに芝彦一に一審原告を宥恕する気がなく、他に円満解決の方法もない旨の事実を認定し、金銭的に評価可能な損害が発生したものと認定している。

(1) 先ず円満解決の見とおしがないなどの事実の認定は、いかにも安易にすぎると思われる。確かに実体法上の正義が訴訟手続によつて実現されるべき関係にある以上、実体法上権利を保有しない側の者が敗訴判決を受ける筈であることはもちろんいうまでもないが、それにしてもすでに言及しているように民事訴訟事件の多くが確定判決を待たず、和解などによつて解決されている実情に照らしても、正義とか権利の所在は具体的場合に一般に必ずしも明確とはいえないのであるから、一概に原判示のようにいうべきではない。

(2) しかして原判決は、一審原告が実体法上所有権を主張することが不可能になつた一事をもつて、ただちに本件土地の明渡義務を負うに至つたとされ、この時点で損害額を算定している。しかしながら右に述べたように権利の存否は具体的場合に必ずしも明確に認識しうるものではないし、仮に今その点は別としても、所有権を主張できなくなつたからといつて、ただちに明渡すことになるとの認定はなお一層妥当性を欠くと思われる。すなわち一審原告は本件土地につき所有権を主張できなくとも、後述のごとく芝彦一に対し賃借権を主張する余地があるうえ、よし明渡さなければらなないとしてもその条件、時期など未確定要素が多分に残されており、それらがどのように確定するかによつて損害額も変動し、さらにこれを減少させる余地も多分に残されているのである。

この点原判決は、一方では一審原告が今すぐ立退きをするものでないことを認めておきながら、これらの事情をすべて事後的変動と解したうえで請求異議訴訟により解決されるべきものとする。しかし本件において損害がすでに確定的に発生しているとみるのであれば、後日一審原告がたまたま立退きを免除されたとしても、これは事後的変動といえず、したがつて請求異議の訴をなす余地はないものである。そうだすれば後日明渡しが免除される可能性がいささかでも存する限り、損害が未だ確定していないということにほかならないのである。

また実際問題として仮に一審被告に賠償義務があるとしても、一審原告が芝彦一に対して現実に土地明渡しをした際に賠償すれば、一審原告に対する救済は十分であつて、何も予め賠償しなければならない特段の事情はないのである。

(三)  所有権に関する損害について

原判決は、一審原告が当初から所有権者ではなかつたことになるから、事後的に所有権を喪失する筈がない旨の一審被告の主張を論理的に是認しながらも、一審原告が所有権喪失と同視できる損害を被つた旨認定している。これは明らかに論理的な矛盾を含み納得できないものの、原判決は「損害を双方いずれに負担させるのが公平妥当か」という立場から解決しようとした帰結と解される。しかしそうだとしても「損害額を右判決時点の地価」とすることが果して公平に叶うであろうか。というのは右の立場によると、地価が他の物価に比して特に異常な高騰を続けている昨今においては、一審原告に所有権がなかつたことが明らかになる時点が遅れれば遅れるほど一審被告の負担すべき損害額が増大するという極めて不公平な結果になるし、また土地の高騰とか、買収処分の無効が明らかになる時点というのは、いずれも知事の関知しない偶然の事情によつて左右される事柄で、これら偶然の事情により損害額が異常に増大することが果して公平であろうか。いずれにしても原判決は、論理上の矛盾を犯しているのみか、不当な結果を是認しているものといわなければならない。

次に原判決は、実体法上一審原告に当初から所有権が無かつたことに伴い、一審原告による従来からの本件土地の使用が所有者芝彦一との関係で不当利得となることを認めながら、これを本件土地の損害算定に当り斟酌しないままこの点は「損害評価の一つの方法として把えられるべきものであるから、究極は公平の観念に支配される相当性の問題」とするのみである。あるいはこの点についても、事後的な事情の変更として請求異議の訴えにより解決されるべきだとするのであろうか。

原判決は本件土地の損害について単に原因結果の関係からいきなり「これは知事の過失と相当因果関係ある通常生ずべき損害と解すべき」とし、さらに「また然るが故にこの場合は……加害者の予見可能性の問題も生じない」と述べ、その損害額を土地の時価としている。この判示は明らかに明瞭さを欠いており理解困難であるが、地価それも本件のごとき市街地内の地価が異常な値上りを続け、またそのことが知事の買収当時において絶対に予見不可能であつた事情については、すでに主張したとおりである。原判決はこの点について判断を示していないというべきである。

(四)  建物収去に関する損害について

本件土地は芝彦一所有の周辺一団の土地と共に、従来から農地として賃貸され、小作人により耕作されていたものであるところ、昭和二五年に自創法三条にもとづき一審被告がこれを買収して当時の小作人北島正らに売渡し、更に昭和二九年一審原告が本件各土地をそれぞれ被売渡人から転買し、宅地に転用して現在に至つたものであるが、既述の如く前記買収処分の無効が確認され、芝彦一に所有権が存することが確定した。

ところで買収処分の無効が確認された土地中には、未だ被売渡人(旧小作人)が従来どおり農地として耕作を継続している土地も多数あり、これらの土地については前記事情から芝彦一に対する小作権が復活すると解するのが相当である。すなわち被売渡人らが従来から当該土地について有していた小作権は、自らが当該土地を買受けて所有権を取得したとの見地から、一応混同により消滅したとされたのであるが、前記無効判決により所有権を取得していないことが明らかになつたのであるから、右混同も生じなかつたものとみるべきだからである(最判昭和四〇年一二月二一日、民集一九巻九号二二二一頁参照)。

しかしてこの理は、本件のように一審原告が被売渡人より本件土地を転得転用して、現に占有している場合についても同様であると解される。すなわち買収処分の無効が確認されると、買収・売渡のない状態になるから、被売渡人の小作権(賃借権)が復活することになるが、被売渡人はこれを一審原告に譲渡し知事の許可を得て一審原告は、本件土地を転用したものと解することができるからである。被売渡人と一審原告との間になされた本件土地に関する売買契約を他人の物の売買と把握するか、あるいは賃借権の譲渡と把握するかが問題となるであろうが、本件のように農地買収・売渡の各処分がなされ、約一八年経過して無効が確定されたこと、その間、右の各処分が有効であることを前提として、多数の取引関係が形成され、一審原告のように本件地上に建物を所有している者もあること、芝彦一が一審原告らに対し土地返還などの訴訟を提起したのが、買収処分後九年余も経過しているなどの諸事情を考慮して本件土地に関する売買契約を合理的に解釈すれば、他人の物の売買と把握するよりも、賃借権の譲渡と把握するほうが、関係当事者間の法律関係を安定させ、公平かつ妥当であると考えられる。したがつて一審原告は、本件土地を占有する権原として賃借権を有すると解する余地もあるのであつて、原判決が直ちに本件土地の明渡義務を負担していることを前提として建物収去に関する損害賠償義務を肯定した点は、明らかに認定を誤つているものといわなければならない。

(証拠)<略>

理由

一当裁判所も一審被告の公権力の行使として徳島県知事がなした本件農地買収処分には、その過失にもとづきこれを無効とすべき瑕疵が存したとすること、一審原告は右処分が有効であることを前提とし、その売渡しを受けた者或いはその転得者らが登記名義のみならず真実所有権を有するものと信じて、売買または交換の各契約により、右処分の対象となつた農地のうち、原判決添付別紙目録(二)の土地(以下本件土地という)の所有権を取得したものとして(もとより登記名義も取得)、そこに建物を建て冷凍・冷蔵及び製氷の設備を設け、各種海産物加工等の営業を始めて今日に及んだこと、ところが昭和四三年六月一三日右買収処分がなされた当時の本件土地の所有者芝彦一が一審被告を相手方とする本件土地等買収処分の無効確認訴訟即ち第一の訴訟において勝訴しこれが確定した結果、本件土地が当初から芝彦一の所有であつたことが明白となり、これに伴い一審原告において本件土地の所有権を主張することができなくなつたものと判断するのであつて、その理由は原判決の理由の説示と同一であるから、その部分(原判決一八枚目表一行目から二一枚目裏四行目まで)をここに引用する。

以上によれば一審原告は、当初から本件土地の所有権を有しなかつたことはいうまでもない。しかし有効に本件土地の所有権を取得したものと信じて使用収益をしていたことは、疑う余地のない事実である。ところが第一の訴訟において本件買収処分を無効とする判決が確定したことにより、それが烏有であつたことが明らかになつた。したがつて知事の違法な公権力の行使により一審原告の被つた通常の損害は、一審被告において当然に賠償すべき責任があるといわなければならない。

この点について一審被告は、元来本件買収処分が農地を農地として利用させることを目的とするから、右処分当時一審原告のように宅地として利用することなど予見しえなかつたことであり、この見地からすると一審原告主張の損害はすべて通常損害といえず、結局のところ右処分との間に相当因果関係のある損害は発生していない、という趣旨の主張をする。なるほど自創法は、所論のように農地として利用させることを目的とするものである。しかし同法には買収・売渡の対象とされた農地の移動・転用を禁止するなどの規定が存しなかつたばかりか、当時施行されていた農地調整法によると、一定の統制に服しながらも農地の移動や宅地転用の途は開かれていたのである(同法四条、六条)。しかも前掲(引用の原判決挙示)甲第二号証、成立につき争のない甲第一号証、同第一七号証によると、本件土地は徳島駅南東約二粁、徳島県庁の東四〇〇米余に位置し、芝彦一が埋立てた土地の一部であつて、昭和一五年ころ戦時下有閑地利用の趣旨で農地化されるに至つたものであること、このような立地条件のため戦後一旦は都市計画による市街地域に指定され、農地買収の対象から除外されていたところ、農地解放の波に乗り右指定が取消されて本件買収処分が行われたこと、昭和二九年一〇月早くも一審原告の申請により宅地転用による所有権移転の許可がなされているのも、右立地条件などからして当然の推移にほかならないとさえみられるのである。以上の事実に徴すると、本件買収処分の対象になつた農地が宅地として利用されるに至つたことは、社会通念上事物通常の推移の範囲内の出来事と理解するのが相当であり(右推移につき加害者の予見可能性を必要としない)、これらの事情を度外視した一審被告の右所論は採用できない。

二そこで一審原告の主張する損害について検討するに、先ず一審原告は、第一の訴訟が確定した昭和四三年六月一三日に確定的・現実的に本件土地所有権が主張ができなくなつて、芝彦一に対する明渡義務を負うに至り、よつて土地所有権価格相当の損害を被つたと主張する。

しかしながら前叙のように一審原告は、元来本件土地の所有権を取得していなかつたのであるから、芝彦一に対し当初より本件土地の明渡義務を負担していたものというべく、ただ第一の訴訟の判決確定によりそれが顕在化したというにとどまるところからいつて、主張のごとき損害を通常損害として把握することは後述のとおり困難といわなければならない。それなら本件の場合に考えられる通常損害として如何なるものが挙げられるかというに、前叙のように一審原告が買収・売渡を経た本件土地の所有権を有効に取得できるものと信頼していたことが根幹となり、この信頼にもとづいてなした出捐がまさに保護されるべき通常損害にほかならないのであつて、具体的には本件土地の取得関係費用、宅地化費用、建物建築及び設備費用、芝彦一に対する収去義務の履行たる建物や設備の移転費用並びに無形的損害がその主たるものといえよう。しかして一審原告が前叙のように主張する本件土地の所有権価格相当の損害なるものは、一審原告において本件不法行為がなかつたならば取得していた所有権を不法行為のために失つたとする損害にほかならず、もともと一審原告は所有権を取得しなかつたのであるから、所有権喪失と同一の損害を考える余地がない(一審被告の不当利得の主張は趣旨必ずしも明らかでないが、右の土地取得に関する損害の容認を前提とする立論と解されるところ、叙上のごとく同損害を容認し難いとするのであるから、同主張につき言及すべき限りではない)。次に営業上の逸失利益に関する損害については、これを特別事情による損害と解すべきところ、本件買収に当り知事にその予見可能性があつたと認め得ないから、一審被告においてこれが賠償義務を負担するものとは解し難い。一審原告は当審において、知事は本件農地の転用許可をなすに際し、一審原告の営業を認識していたから、予見可能性がなかつたとはいえないとの趣旨の主張をするもののごとくである。しかし転用許可は本件買収行為とは別個の行為であつて、買収売渡とは関係なく一定基準から転用による所有権移転の当否を判断するものであつて、本件転用許可自体に違法があつたものとは認められない。のみならず右主張の営業上の損害がこれを確認し得る証拠を欠くことについても原判示のとおりであるからその説示(原判決二六枚目裏二行目から二七枚目表一一行目まで)を引用する(当審における一審原告本人の供述を加えても結論に変りはない)。いずれにしても営業上の損害の賠償を求める一審原告の主張は理由がない。

次に一審被告は、将来における諸種のケースを想定して、一審原告の主張する損害は、未だ確定的に発生していない旨の主張をする。

もとより不法行為による損害は現実の損害であることを要するけれども、積極的損害は必ずしも現実に出捐をしたことまで必要とするものではなく、社会通念上現実の出捐と同視すべき債務を負担したときには右債務に相当する損害を被つたというに妨げなく、これを本件についてみると、前記行政訴訟による無効判決の確定により、一審原告に本件土地所有権のないこと、芝彦一に依然所有権が存することが確定し、かつ同人から一審原告に対し土地明渡請求訴訟が提起され、原審における証人芝彦一の証言及び一審原告代表者本人の供述によれば、芝彦一は和解の意思が全くなくただ一審原告の土地の明渡の履行のみを強く要求している状態であるから、かかる事態においては本件土地は早晩明渡を免れないものであつて、これらの状況においては、明渡に伴う損害が現実のものとなつたとみるのを妨げない。

一審被告はまた本件買収分が遡つて無効とされるならば本件の経緯に照らし、一審原告に小作権が存するものとみるべきであるとも主張するが、全く擬制の域を出ず採用の限りでない。よつて以下その余の通常損害即ち建物の収去に伴う損害と無形的損害につき検討する。

(一)  建物の収去に伴う損害

前叙(引用の原判決)のごとく一審原告は、本件土地上に所有する建物や設備を収去せざるをえなくなり、通常損害としてそれらの移転費用相当額の損害を被つたというべきである。もつとも原審証人柳本喜八、同桜田昌男、同太田武一、同久次米明之助の各証言によると、それらの建物は効率的な冷凍・冷蔵などの機能を確保するため特殊の構造を有し、設備を含めてその移転が実際上困難で、新設以外に方法のないものや、経済的に新設するほうが割安のものもかなり存することが窺われるから、これらの事情を十分斟酌しなければならない。ところで本件買収処分がなされた当時から現今までの物価騰貴は、緩急の波はあつたにせよ恒常的な趨勢として把握されるのであるから、損害の公平な分担という趣旨からいつても、右費用の算定は当審における口頭弁論終結時を基準とするのが相当である。

そこで以上の見地によつてみるに<証拠>を総合すると、一審原告がこの関係で主張する全費用額、即ち水道工事関係九四万一八〇一円、電機設備関係一四九万二二七〇円、防熱・冷蔵・製氷及び冷凍設備関係一八四六万七八七六円、更に建物関係費三一三三万三九〇〇円を認めることができる。ただ、前掲甲第二号証によると「建物は……昭和三一ないし三四年頃の建築にて特に事務所兼倉庫はやや損耗が著しい」とし、昭和四五年二月二〇日の時点で時価八三七万六八七〇円と評価しているのであるが、同評価は継続使用を前提とするものであり、しかも前叙のような本件建物の特殊構造などについて意を払つているとはみられないのであるから、右評価は斟酌すべき限りではない。

そうだとすると以上の合計は五二二三万五八四七円となるが、万未満を切捨て五二二三万円を損害額とすべきである。

(二)  無形的損害

原審証人坂東寛の証言、一審原告代表者本人の供述(原審第一・二回)と前記認定(原判決引用)の事実によれば、一審原告(昭和四一年六月にそれまでの資本金五〇〇万円を一〇〇〇万円に増資)は、本件土地を有効に取得できるものと信じたというにとどまらず、同土地附近の将来の発展を見越して鋭意資本投下を行い、本件土地建物や諸設備にみられるようにかなりの規模の事業を興し、しかも相当の長期に亘りここに営業の本拠を築いてきたところ、昭和四三年六月の第一の訴訟の判決確定によりそれが空中の楼閣であつたことが判明し、同所での営業存立の基礎を奪われるに至り、他所において営業を再建することを余儀なくされる事態に立至つたのであつて、そのため信用を失墜し金融機関からの長期融資が困難になつたのをはじめ、かかる事態が悪循環となつて直接に営業の運営全般に甚大な悪影響を及ぼしたこと、しかも信用などの恢復には相当の長年月を要するであろうことは推測するに難くないところである。このようにみてくると一審原告の被つた無形的損害は軽視し得ないものがあるといわなければならない。しかしてかかる無形的損害が右の財産上の損害填補によつて償いうるとは到底解し得ないから、一審被告において右無形的損害についても賠償すべき責任があるというべきである。そこでその賠償額であるが、右のごとく昭和四三年を境として信用の悪化を招き、これが恢復には将来なお相当の年用を要するものと思われるけれども、これを適確に金銭的に評価することは業績などの不確定要素もあつて困難というほかないが、前記認定の企業規模その他諸般の事情を総合して、金五〇〇万円をもつて相当と認める。

三以上によれば一審被告は、一審原告に対し損害金合計五七二三万円とこれに対する本件口頭弁論終結の日の翌日である昭和四八年七月三一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるが、その余は失当である。

よつてこれと趣旨を異にする原判決を右のとおり変更することとし、一審原告の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条本文、仮執行及びその免脱の各宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(合田得太郎 伊藤豊治 石田眞)

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